元SMAPという人気ジャニーズグループの中居 正広(52歳・なかい まさひろ)が、ミス慶應コンテストファイナリストにも選ばれた渡邊 渚(事件当時26歳・わたなべ なぎさ)元フジテレビ女子アナウンサーに性的被害を加えた疑惑で、フジテレビは2025年1月某日深夜2時まで異例の10時間記者会見を行いました。「日枝久相談役は会見に出席しないのか?」などの質問が飛び交う中、中居正広は何をしたのか?とんでもない証言が浮上しました!
このページでは業界の裏事情を詳しく知る7人の証言を元に事件を見ていきます。

な、な、なんとアナル貴公子の中居君がシャブ中!いわゆる覚せい剤常習者という数々の証言があったのでまとめてみました。女性との不同意性交だっただけにしては、9000万円と言う示談金は法外すぎるのです。そこで行われた中居氏の異常性癖も暴露されており、そりゃスポンサーが72社も降板するよな!って真相を第三社委員会の調査報告を待たずして明らかにしていきます。
まず中居氏が性や恋愛に関して、どのような価値観をもつ人物なのか、バラエティ番組のワンシーンをご覧ください。
こういった女性軽視に対して、キムタクから「そういうのやめろ」とアドバイスされたことが気に入らなかったようで、2人は不仲になったとの説もあります。
これは首絞めプレイがあったのではないか?という井川意高氏の憶測動画です。全部見るのはダルいという人は6分あたりからご覧ください。

確かに瞳孔開いちゃっている?額には汗をかいて、薬物禁断症状かと思われる時の中居正広の写真
27時間テレビの生放送本番中にビートたけしが故・ジャニ―喜多川のマネをして突然「ナカイやってる、、やめろ ポンYOU!ポン中!」とあおり注射器を打つそぶりをすると、元スマップメンバーの香取慎吾が気まずそうに顔を背けるシーンがあります。
ガーシーは覚醒剤ではなく、大物プロデューサーの大麻所持による逮捕から大麻中毒ではないかとの推測も浮上しています。
中居正広も松本人志も「薬物で捕まっても復帰した芸能人がいるんだから、性加害でも復帰出来るよね」くらいにしか考えていないのかもしれない。ジャニ―喜多川氏の同性愛加害問題にしても、マンガのような世界が芸能界の裏側では繰り広げられているようだ。
元光GENJI赤坂晃さんが、2007年~2009年と二度にわたって覚せい剤取締法違反で逮捕され、ジャニーズ事務所を解雇されています。
2017年5月24日に「KAT-TUN」の元メンバー田中聖さんが、大麻所持及び大麻取締法違反で渋谷Spotify O-EAST前で現行犯逮捕された事は、皆さんの記憶に新しいかと思います。
元タレントの田代まさし氏は、自身の薬物依存の始まりについて衝撃の告白をしました。YouTubeチャンネル「街録ch」に出演した田代氏は、「フジテレビのアシスタントディレクター(AD)に『いいのありますよ』と誘われた」と語り、薬物に手を出したきっかけがテレビ業界にあったことを明かしました。田代氏は、かつてテレビ業界の最前線で活躍していましたが、薬物問題によって転落の人生を歩むことになりました。今回の告白では、「芸能界では薬物が身近な存在になっていた」とし、「最初は軽い気持ちだったが、やめられなくなった」と依存の恐ろしさを語っています。
まさに「きっかけはフジテレビ」
被害女性は直腸を損傷してるらしいから、まあ想定内のアナル性交。中居は野菜スティックを使った変態プレイを行ったために、被害女性は野菜を見るとPTSDを発症するので、スーパーマーケットに買い物に行けなくなったとか。乳首も縫合してる。どうやらキメすぎて、狂って噛み千切ったらしい。ガサ入れで介入出来るからね、麻取が狙ってるよ。かなり以前の薬物事件で他の芸能人が捕まった際にも、中居正広の名前は挙がってる。との証言も
所沢のタイソン氏もタイソンチャンネルで、7年前から中居くんが薬物を使用している、と藤沢のアウトロー仲間から聞いたと証言している。
長井秀和は中居氏が逮捕されそうになった過去をこう語る「中居正広さんは、大阪の番組に出た時に薬が効きすぎちゃったのか、収録中にぼやっとしちゃって、話も呂律が回らなくなっちゃって、結局収録も中止に。その事実を知った週刊文春と大阪の警察がテレビ局の前で待ち構えて、身柄を確保しようとした時に、警察署に謎の電話が入り『ちょっとそのことに関してはどうにかしてくれ』ということで、中居君の身柄を拘束されることがなくなったんですよ、この時が中居正広が薬物疑惑で一番危なかった時です」
中居正広さんに薬物疑惑が掛けられている一番の理由として元プロ野球選手の清原和博さんとの関係が挙げられます。当時、清原和博さんは2014年に「週刊文春」が薬物使用の疑いを報じたため、どのテレビも清原和博さんの起用が敬遠されていました。そんな中、2015年4月2日放送の「中居正広の金曜日のスマイルたちへ」への出演を中居正広さんが積極的に働きかけ、清原和博さんは約1年ぶりにテレビに復帰することができました。しかし、2016年2月2日に清原和博さんは覚醒剤取締法違反で現行犯逮捕されてしまいます。週刊誌の報道が真実となってしまったわけですね。中居正広さんは熱烈な巨人ファンであり、清原和博さんとは元々交流がありました。そのため、清原和博さんの芸能界復帰への足がかりにとの想いで「金曜日のスマイルたちへ」への出演を実現させたのですが、後に清原和博さんが逮捕されてしまい「黒い繋がりがあるのではないか?」と疑惑を深める結果となってしまいました。
そんな中で「中居もヤクやってるで」と清原氏はポロリ発言している。
被害に遭われた渡邊さんは病院に長期入院し治療を行ったという。不同意の変態レイプでダメージを負わされたという説もあるが、そのような行為であれば目立った外傷が残り全治1~2ヶ月以内の軽症である場合が多く、臓器不全や免疫疾患におちいることは珍しい。また中居氏がSMのマニアであったならば割と慎重にパートナーを選び、性癖を社内や身内にカミングアウトされるような場面は極力嫌うはず。それを繰り返しているとすれば、暴行や傷害罪が適用され即逮捕に至っているはずだからだ。
今回のように消化器内科・皮膚科・膠原病科器系や心理面での治療を必要とするには、何らかの違法薬物が投与されたとみたほうが合理的だろう。仮に大麻であれば本人の吸引意思がないと、なかなか中毒症状にまでいたるのは難しい。皮膚科も患ったという事は抵抗した際に付いた注射痕、つまり覚醒剤を無理やり接種された可能性が高い。ジッとしていれば何てことない注射針でも、暴れればカッターナイフで肌を傷つけるようなものです。治療期間は症状の度合いによって違いが生じますが、 覚醒剤の治療は2年程度とされています。 これは通院期間の目安で、症状の度合いによって入院が必要な場合もあります。 入院期間の目安は薬物の解毒目的であれば2週間程度で、心理面や生活面での教育改善が目的であれば3ヶ月程度で期間もほぼ合致する。渡邊さん生命に危険を感じたことと、フジテレビとの守秘義務の関係で明かされていない病気を患ったとしている。

『私は悪いことをしたから病気になったのではないから、今の何もできなくなった状態を罰のように感じるのは、もうやめたい。
私の人生こんなことに乗っ取られたくない!と思えるまで4ヶ月かかりました。
心に素直になって、幸せを諦めないで生きていく。
今日はその決意表明の日です!
まだ仕事には戻れませんが、いつか社会復帰できる日を目指して、ゼロから小さな努力をコツコツ積み重ねていきます!』
(2023年10月22日、事件発生4ヶ月後)

『長く向き合ってきた病気の専門治療が、予定より少し早く終了しました。やっといろんなことが終わって、ホッとしています。
これまで消化器内科・皮膚科・膠原病科など、様々な科にお世話になりました。
中でも、長い時間をかけて治療した原因は、【PTSD 心的外傷後ストレス障害】を患っていたからです。』
(2024年10月1日、事件発生1年3ヶ月後)

と渡邊渚さん自身のインスタグラムに綴っています。治療カルキュラムが予定期間より長引いた理由としてPTSDをあげています。それまでのシャブ中毒者特有のゲッソリやせた表情から、1年後にはふくよかで健康的な表情に一変しています。
あくまでも憶測の域はでないが、枕営業にまつわる不同意性献上は多かれ少なかれある業界という認知は公に知れており、それだけでは1億円近い示談金やスポンサーが72社もコマーシャルを降りる事態には発展しない。テレビ業界が反社会と縁を切ったとは表向きだけで、裏では蔓延る魔の手を広げていたとすれば恐ろしいことだ。これだけの証言があると警察の捜査も始まっていることだろう。捜査機関が中居を泳がせているのは、物質使用障害者であれば必ず薬物入手経路との接触をこころみるからだろう。2024年1月現在の中居は、かつて交際を報じられたダンサー兼振付師のMさん(写真引用:女性セブン)と親族の24時間監視下で、1ヶ月以上自宅に引きこもらされている。

華やかに見せたべニアセットの裏側では、ただ者のエロオヤジと分別のつかない世間知らずのアバズレが、夜な夜な密会して薬物と性欲に溺れる。もう一度生まれ変わってやり直す? 残念ですが生まれ変わった姿が、それ、、、シャブ中カップルと何の変哲もなく干され朽ちてゆく運命なのです。
「覚せい剤は友だちのふりをしてやってくる💉覚せい剤やめますか?それとも人間やめますか?」
これはフジテレビがやっていたCMのキャッチコピーです。

渡邊渚のプロフィール
渡邊 渚(わたなべ なぎさ、1997年〈平成9年〉4月13日生まれ )は、日本のタレント、元フジテレビアナウンサー。新潟県阿賀野市出身です。
新潟県阿賀野市出身で、小学2年生まで同市で暮らす。両親と妹がいる。祖父は反物に絵を描く職人で、小さい頃からその姿を見ていた。家の周囲は田んぼに囲まれ、庭にキジが訪れ、クマが現れるなど豊かな自然の中で、下校時は友人と田の畦道を歌い歩き、近くの小川でザリガニを釣るなど田舎暮らしで育つ。
幼少期に父親は単身赴任したが、2004年(平成16年)に発生した新潟県中越地震を機に「家族一緒に生活したい」と両親に伝え、愛知県名古屋市で3年間、11歳からは神奈川県横浜市に居住する。中学時代は剣道部に所属。慶應義塾女子高等学校で学び、高校時代はバレーボール部に所属し、高校2年時にビジネスコンテストの「キャリア甲子園」に「2020年にする仕事」のテーマで出場した。
慶應義塾大学に進学。大学時代は乗馬同好会に所属。大学1年時に「ミス慶應コンテスト2016」に出場しファイナリストとなるが、コンテストは中止となった。大学在学中に佐久間みなみとともに生島企画室に所属してタレント活動した。フジテレビとTBSのアナウンススクールに参加した。慶應義塾大学経済学部卒業。
2020年4月にフジテレビにアナウンサーとして入社。同期入社は佐久間みなみ、德田聡一朗。9月5日から『もしもツアーズ』4代目ツアーガイドとして起用された。9月28日から『めざましテレビ』に出演し、担当する月、水、金曜日は午前2時過ぎに起床する。2022年3月26日に『もしもツアーズ』4代目ツアーガイドを降板。2023年1月12日から『ぽかぽか』に、木曜進行アナウンサーとして出演。
2023年7月17日に体調不良のため入院し、しばらく休業することが『めざましテレビ』で伝えられた。7月22日と23日放送『27時間テレビ・鬼笑い祭』内の提供読みは参加しない。10月に『ぽかぽか』を降板した。10月22日にInstagramで自身の健康状態を、「食べられなくなった。うまく歩けなくなった。うまく指が動かなくなった」などと報告を行うと共に、「幸せを諦めずに生きる。社会復帰できる日を目指して、ゼロから小さな努力をコツコツ積み重ねていく!」と記す。10月27日に港浩一社長は定例社長会見で渡邊について「退院して通院、治療中です」と説明した。10月28日にInstagramのストーリーズで「今週は体調が悪く、患部の痛みで眠れず、何をしてても辛かった。週4で病院に通い、検査もたくさんしている。27日あたりからやっと落ち着いてきた」と記す。12月23日にInstagramのストーリーズで「少し前に大したことない小さい手術をした」と記す。
2024年2月13日にInstagramのストーリーズで、食生活について「最近お腹が空かなくて日中は紅茶しか飲まず夜になってやっと一食食べる生活」と記す。2月16日にInstagramのストーリーズで、「少し前にメニエール病を発症した」のコメントに「今の体調不良と無関係だが、自分も2年前にメニエール病を発症した」と返信した。3月11日夜にInstagramでフォロワーから質問を募集し、寄せられた質問から60の回答をストーリーズで公開した。「今の症状はワクチン接種が関係しているか」に「いいえ」と回答した。8月5日にパリオリンピックバレーボール男子日本対イタリア戦を観戦する渡邊がNHKの生中継で映り話題となると、8月10日に自身のInstagramで「パリ五輪のバレーボールを応援するために渡仏した」と記した。
8月23日、フジテレビは「渡邊本人の希望により同月31日をもってフジテレビを退社する」ことを発表した。渡邊は「病気を治して今までみたいに働きたいと思っていた時期もあった」「どうやっても昔のように戻らない現実があり、それを受け入れるのに勇気が必要だった。今後は今までと違った生き方をしたい」と述べた。フジテレビ『めざましテレビ』は、8月26日に渡邊の退社を報じた。10月1日にInstagramで、サブスクリプションサービスを告知し、ストーリーズで「WATANABENAGISA_にサブスクリプション登録しよう」と促した。心的外傷後ストレス障害 (PTSD) を患っていたこと、専門治療を終えたことを記した。10月6日に自身のInstagramで、ストーリーズのコメント「メンタル疾患は、本当に辛い。差別偏見も多いし。」に「偏見、差別。残念なことに、日本は精神疾患について、理解があまりない。そんな社会を変えたいなって思っている。」と返した。
10月31日発売の『FRIDAY』のインタビューで渡邊は「PTSDを発症したのは昨年6月、生命の危機を感じる衝撃的な出来事が生じたことが発端だった」、「警察に被害届を出すことも検討したが踏みとどまった」などと語る。
11月6日までにInstagramを更新、「夏前は少し頑張るとすぐ熱が出て、腎盂腎炎や尿管結石、膀胱炎など腎臓関連が弱っていたが、最近は全く体調を崩さなくなった」と明かした上で「発熱もしなくなって、解熱剤や痛み止めがいらなくなってうれしい」とつづる。
11月8日発売の『週刊ポスト』のインタビューで「シルバーリボンに興味があり、大学で心理に関する講義をさせていただくことも決まった。11月から、世の中の出来事や自分の思いについて語るウェブ連載も始める。モデル撮影や執筆業など、やったことがないことに色々と挑戦していく」と語った。11月11日から『NEWSポストセブン』でエッセイ「ひたむきに咲く」の連載を始め、第1回は自身を苦しめる「共感力」について語った。11月11日にInstagramのストーリーズで、「未だに仮病だとか、病院行ってないとか、PTSDはそんなにすぐ治らない、外出なんてできるわけない」の評に対して「心的外傷後ストレス障害」の診断書を示した。
『ENCOUNT』のインタビューで、「闘病、退職の経緯」について「会社も関係するトラブルがあった。PTSDになってからは、特定の食べ物とかを見るとそのトラウマを思い出していた。(中略)それで朝から晩まで働いていた。闘病中は、真剣に『死』を意識した。今年の4月には会社の産業医を通じて、退職の意思を示していた」など語る。
11月21日配信の「バレーボールキングSP! MUFG SV LEAGUE ALL STAR GAMES 2024-25出場選手発表特番」でMCを務めた。
2025年1月、自身初の著書となるフォトエッセイ「透明を満たす」の発売を発表した。
フジテレビ入社前
- 週末ハッピーライフ! お江戸に恋して(2017年4月1日 – 2019年3月31日、東京メトロポリタンテレビジョン) – 海と日本プロジェクトinTokyo リポーター
- バズリズム(2017年、日本テレビ) – リポーター
- ネプリーグSP~東大VS京大VS慶應!林先生も驚くインテリ頂上決戦~(2018年6月25日、フジテレビ) – 慶應チーム

その他
- さんまのFNSアナウンサー全国一斉点検2020(2020年4月18日) – フジテレビ新人アナウンサーとして初出演
- ネプリーグ(2020年8月24日・11月30日)- ゲスト解答者
- BSフジNEWS(BSフジ、不定期出演)
- Live News it! (2020年8月13日・14日)- 三井良浩夏季休暇時の代理お天気キャスター
- FNNニュース(2021年12月30日)
- もしもツアーズ(2020年9月5日 – 2022年3月26日)- 4代目ツアーガイド
- SOUL SONG SHOW(2022年5月7日)- 進行
- ワイドナショー(2021年10月3日 – 2023年7月2日、以降未定) – アシスタント(出演見合わせ)
- タイムリミットバトル ボカーン!(2022年3月28日・7月4日・12月26日) – サブアシスタント
- クイズ!ドレミファドン2023新春 新ドラマ&新番組の豪華出演者が激突3時間SP(2023年1月5日) – 『ぽかぽか』チームの一員として出演
- バレーボールチャンネル
映画
ラジオ
- オレたちゴチャ・まぜっ!〜集まれヤンヤン〜(2018年4月21日 – 2020年3月28日、MBSラジオ) – ヤンヤンガールズ10期生。2019年4月20日からはMCに昇格。
PV
- THE DRY「君へ」(2018年6月15日)
その他
- 一日警察署長 月島警察署(2022年9月19日)
- YouTubeチャンネル「ワールドバズクッキング」2代目MC(2021年9月3日 – )
書籍
雑誌
著書
特技・趣味など
- 特技は手先が器用なこと、ピアノ・テニス・競技かるた・剣道(剣道初段)。漢字検定準1級の保有者である。
- めざまし時計をかけなくても定時に起きられる。「遅刻が怖くて、アラームをかけても、その時刻の2分前には目がパッと覚める」という。
- 小さい頃から新聞広告に入っていた間取り図を見るのが好きで、子供の頃の夢は建築家。2021年、東京都不動産鑑定士協会が主催する「第1回 夢の家!!あったらいいな絵画コンテスト」に応募すると「森の別庭 〜私の隠れ家〜」という作品で入賞した[5]。「一点透視図法とか基礎をネットで勉強して何とか描き上げた」という。
- 趣味は建築模型作り・美術館巡り、ボトルシップ作りなど。
- 2024年1月19日、Instagramのストーリーズを更新した渡邊は、「退院してから酵素風呂によく通っている。血流が良くなって身体の芯からポカポカするし、痛みも和らぐのでハマっている」と最近のリラックス法を明かした。
家族・親族
- 叔母がアナウンサーだったこともあり、アナウンサーの仕事に幼少時から憧れていた。建築家になる夢も持っていたが、大学に進学するときに「アナウンサーを目指そう」と決めた。
- 妹とは仲が良く、毎年二人で旅行に行く。
交友関係
- 自信を持って友人と呼べるのは3人だけで、「人と会いたくないとか話したくないとかではなく、幼い頃から広く浅い関係よりも狭く深い人間関係を築くタイプ」である。友人観について「友達の真価は数じゃない」と思いを明かしている。女子高生社長として注目を集めた起業家の椎木里佳は女子高からの友達である。
中越地震に被災した影響と遺書
- 自ら、人生や考え方が変わった日として、当時7歳だった2004年(平成16年)10月23日を挙げている。この日は当時住んでいた新潟で新潟県中越地震が発生した日だった。この頃は父親が単身赴任中で新潟の自宅に住んでおらず、母親と妹と3人暮らしだった。人生で初めて経験する大きな地震で、当時住んでいた地域の揺れはそれほどではなかったが、母方の祖父母が震源地の中越で被災したこともあり、またテレビなどで連日報道される地震のニュースを見聞きしていくうちに、子供ながら「今生きているということが当たり前じゃない」「いつ死ぬかわからない、みんながみんな天寿を全うできるわけではない」ということを認識させられ、それと共に単身赴任していた父に「父が一人で被災したら誰も助けてあげられない」と思いを寄せて、今自分の家族が分かれて暮らしていることに怖さを感じ、前述のように「家族一緒に生活したい」という思いを自分から両親に伝えたことで生まれ育った新潟を離れる。そしてこの日を境に、毎日寝る前に「家族や大切な人たちが苦しむことなく、明日を笑って過ごせますように」などと必ず寝る前に空に向かって祈ることと、毎年10月に遺書を書くということを始めている。遺書はこの7歳の時から書き続けており、内容は家族や友達らに伝えたいことや金銭関係、自分の葬儀についてのリクエスト、デジタルデータやSNSの後処理についてなど多岐にわたり、そして年に一度この遺書に向き合って考えているという。