岡谷鋼機名古屋市公会堂(読み方:おかやこうき なごやしこうかいどう)は、昭和天皇のご成婚を祝し、名古屋市の記念事業として大正13年1月に建設が決まり、昭和2年4月に起工、昭和5(1930)年10月10日に開館しました。以後、国内有数の文化と社交の殿堂として広く市民に親しまれてきましたが、第2次大戦中には防空部隊の司令部がおかれ、また戦後は米国空軍の娯楽・厚生施設となり、公会堂の機能は全面的に停止しました。昭和31(1956)年2月に名古屋市の管理に戻り、これを機に施設の整備拡充を行い、再び市民の利用施設として親しまれることになりました。建物は地下1階・地上4階、大ホールと4階ホール、9室からなる集会室等で構成され、緑豊かな鶴舞公園の一角に位置しています。外壁はこげ茶色のタイルで仕上げ、直線を基調としつつコーナーは丸みを帯び、全体として調和のとれた重厚で落ち着いた感じを与えています。また正面入口両脇の塔屋上部には、鶴舞公園にふさわしく鶴の羽根をデザインした模様が浮彫りされています。大阪・中央公会堂(大正7(1918)年)、東京・日比谷公会堂(昭和4(1929)年)と並び、名古屋市公会堂は当時の近代建築として代表的な建物のひとつですが、戦災は免れたものの老朽化が激しく、市制90年記念事業として昭和55(1980)年に大改修を施し、現在に至っています。 なお、平成元(1989)年には名古屋市都市景観条例に基づき、都市景観重要建築物に、令和2(2020)年には景観重要建造物に指定されました。また令和2(2020)年8月17日づけで国の有形文化財(建造物)に登録されました。それを示す銘板が正面玄関に設置されています。令和6(2024)年4月からはネーミングライツの導入により、愛称が岡谷鋼機名古屋公会堂となりました。館内には公会堂の歴史を紹介する展示コーナーを設けており、年表や開館当時をしのぶ品もご覧いただけます。
鶴舞公園に佇むクラシカルな建造物で、1930年に開館したそうです。 緑の中に立つ公会堂は違和感なく、行き交う人々を戦前から見てきたのでしょう。 名古屋に住んでいながら眺めるだけで実際に入ったことはなかったのですが、奇遇にも健康診断の会場となったため初めて訪れました。最近はライブ会場としても活躍しています。クラシカルな内装も趣がありアーティストにも好評のようです。一階席は緩やかなスロープになっているので見やすいです。2階席の横は死角がありそうですがセンターは見やすいです。 鶴舞駅からも近くて駐車場も併設されています。 今日はグリムスパンキーライブでした。少し遅れて着きましたが会場駐車場に止められたので何とか最小限ですみました。 始めて3階席でしたがステージに近くて見易い。客席の角度が絶妙で下の階の人が見えずに直接ステージと連続している錯覚になります。地下の食堂が無くなっていたのは残念でした。たまにある無料ツアーでは貴賓室が見られます。
アクセス(住所)
〒466-0064
愛知県名古屋市昭和区鶴舞1-1-3
TEL:052-731-7191
FAX:052-731-7149
〇地下鉄鶴舞線「鶴舞駅」下車 4番出口より徒歩2分
〇市バス「鶴舞公園」下車 徒歩3分
〇JR中央本線「鶴舞駅」下車 公園口より徒歩2分
駐車場 なし(『駐車場コインパーキング検索』からお探し下さい)
岡谷鋼機名古屋公会堂の専用駐車場はございません。
鶴舞公園駐車場(有料)のほか、近隣の駐車場をご利用ください。
入場ドリンク代 なし(主催者によって変動する場合もあります)
名古屋市公会堂の外観
フロアガイド
キャパシティ(最大収容人数)
🏟4階ホール
基本型 576人(机、椅子使用時)
最大 780人(椅子のみ使用時)
机・椅子移動可
4階ホール座席レイアウト
🏟1階 大ホール
1,552席<別に車椅子用(1階)10台分>
1階 842席
2階 400席
3階 310席
大ホール座席表
イベントスケジュールとチケット情報
🎄鶴舞公園について
明治42年11月19日、愛知郡御器所村であったこの地が「鶴舞(つるま)公園」として定められ、翌明治43年3月16日から90日間、第10回関西府県連合共進会が盛大に催されました。その後、共進会のシンボルになった噴水塔を始め奏楽堂などを取り込み、全体計画を本多静六林学博士、鈴木禎次工学士により、また、日本庭園は村瀬玄中、松尾宗五の両宗匠によって設計され、大正9年ごろにほぼ現在の体裁を整えました。鶴舞公園の特色を一言で表せば、近世フランス式の洋風庭園と日本庭園を合わせもつ、いわば和洋折衷の自然廻遊式公園といえます。
🏢岡谷鋼機株式会社(おかやこうき、英: OKAYA & CO., LTD.)は、鉄鋼、機械などを扱う独立系商社である。名古屋証券取引所プレミア市場単独上場銘柄です。
旧加納藩士であった初代岡谷總助宗治が主君・戸田光重の死去に伴い武士を廃業し町人となり、1669年(寛文9年)、尾張藩の鉄砲町にて「笹屋」を創業しました。当時は農具(鋤、鍬、草鎌)、工匠具(釘、錐、小刀、斧、鋸、金槌)、家庭用品(剃刀、鋏、鏡)、刀剣類などを扱っていました。
現在では鉄鋼、情報・電機、産業資材、生活産業の4分野を中心に事業展開を行なっており、グループは連結子会社75社、持分法適用非連結子会社6社、持分法適用関連会社14社の計95社(2023年2月28日現在)で構成されています。