小田和正が約3年ぶりの全国アリーナツアー
明治安田生命 Presents Kazumasa Oda Tour 2022 – 2023「こんど、君と」
の開催を決定しました!!それではツアー日程を見て行きましょう🎶
下記以外の会場座席表をお探しでしたらコチラから
2023年
月 | 日 | 曜日 | 開場/開演 | 座席表 |
5月 | 3日 | (水) | 福井:サンドーム福井 | |
4日 | (木) | 福井:サンドーム福井 | ||
10日 | (水) | 熊本:グランメッセ熊本 | ||
11日 | (木) | 熊本:グランメッセ熊本 | ||
23日 | (火) | 大阪:大阪城ホール | ||
24日 | (水) | 大阪:大阪城ホール | ||
6月 | 3日 | (土) | 東京:有明アリーナ | |
4日 | (日) | 東京:有明アリーナ | ||
17日 | (土) | 山口:山口きらら博記念公園(やまぐち富士商ドーム) | ||
18日 | (日) | 山口:山口きらら博記念公園(やまぐち富士商ドーム) | ||
28日 | (水) | 東京:国立代々木競技場 第一体育館 | ||
29日 | (木) | 東京:国立代々木競技場 第一体育館 | ||
7月 | 8日 | (土) | 岩手:岩手産業文化センター・ツガワ未来館アピオ | |
9日 | (日) | 岩手:岩手産業文化センター・ツガワ未来館アピオ | ||
20日 | (木) | 北海道:真駒内セキスイハイムアイスアリーナ | ||
21日 | (金) | 北海道:真駒内セキスイハイムアイスアリーナ | ||
8月 | 1日 | (火) | 神奈川:横浜アリーナ | |
2日 | (水) | 神奈川:横浜アリーナ |
2022年
月 | 日 | 曜日 | 開場/開演 | 座席表 |
6月 | 3日 | (金) | 17:00/18:30 | 福 島:ビッグパレットふくしま |
4日 | (土) | 16:00/17:30 | 福 島:ビッグパレットふくしま | |
11日 | (土) | 16:00/17:30 | 新 潟:朱鷺メッセ ・新潟コンベンションセンター | |
12日 | (日) | 15:30/17:00 | 新 潟:朱鷺メッセ ・新潟コンベンションセンター | |
22日 | (水) | 17:30/18:30 | 愛 知:日本ガイシホール | |
23日 | (木) | 17:30/18:30 | 愛 知:日本ガイシホール |
7月 | 1日 | (金) | 17:00/18:30 | 大 阪:大阪城ホール |
2日 | (土) | 15:30/17:00 | 大 阪:大阪城ホール | |
9日 | (土) | 17:00/18:00 | 北海道:真駒内セキスイハイムアイスアリーナ | |
10日 | (日) | 16:00/17:00 | 北海道:真駒内セキスイハイムアイスアリーナ | |
16日 | (土) | 16:00/17:30 | 宮 城:セキスイハイム スーパーアリーナ(グランディ・21) | |
17日 | (日) | 16:00/17:30 | 宮 城:セキスイハイム スーパーアリーナ(グランディ・21) | |
23日 | (土) | 16:00/17:30 | 香 川:さぬき市野外音楽広場テアトロン | |
24日 | (日) | 16:00/17:30 | 香 川:さぬき市野外音楽広場テアトロン |
8月 | 3日 | (水) | 17:30/18:30 | 東 京:国立代々木競技場 第一体育館 |
4日 | (木) | 17:30/18:30 | 東 京:国立代々木競技場 第一体育館 | |
13日 | (土) | 16:30/18:00 | 沖 縄:沖縄アリーナ | |
14日 | (日) | 15:30/17:00 | 沖 縄:沖縄アリーナ | |
24日 | (水) | 17:00/18:30 | 広 島:広島グリーンアリーナ | |
25日 | (木) | 17:00/18:30 | 広 島:広島グリーンアリーナ |
9月 | 10日 | (土) | 16:00/17:00 | 愛 媛:愛媛県武道館 |
11日 | (日) | 16:00/17:00 | 愛 媛:愛媛県武道館 | |
17日 | (土) | 15:30/17:00 | 福 岡:マリンメッセ福岡A館 | |
18日 | (日) | 15:30/17:00 | 福 岡:マリンメッセ福岡A館 | |
27日 | (火) | 17:00/18:30 | 神奈川:横浜アリーナ | |
28日 | (水) | 17:00/18:30 | 神奈川:横浜アリーナ |
10月 | 8日 | (土) | 16:30/18:00 | 愛 知:ポートメッセなごや新第1展示館 |
9日 | (日) | 15:30/17:00 | 愛 知:ポートメッセなごや新第1展示館 | |
19日 | (水) | 17:00/18:30 | 埼 玉:さいたまスーパーアリーナ | |
20日 | (木) | 17:00/18:30 | 埼 玉:さいたまスーパーアリーナ |
11月 | 30日 | (水) | 17:00/18:30 | 沖 縄:沖縄アリーナ |
12月 | 1日 | (木) | 17:00/18:30 | 沖 縄:沖縄アリーナ |
小田 和正(おだ かずまさ、1947年〈昭和22年〉9月20日生まれ )は、元オフコースのリーダーでボーカリストです。株式会社ファー・イースト・クラブ(FAR EAST CLUB INC.)代表取締役社長です。身長172cm。血液型はA型。
生い立ち
横浜市金沢区出身。金沢文庫すずらん通り商店街にある小田薬局で次男として育ち、兄が一人居ます。兄・小田兵馬(1946年3月27日生まれ、学歴は聖光学院中学校・高等学校→東京薬科大学薬学部)は家業を継ぎ薬剤師となり小田薬局の店長を務める傍ら、日本チェーンドラッグストア協会、横浜市金沢区薬剤師会などの要職を歴任している。幼少時代は横須賀中央のバイオリン教室に通っていました。実父は、東京都本郷の出身で、すずらん通り商店街の基礎を築き藍綬褒章を受章しています。
関東学院六浦小学校、横浜市立八景小学校を経て、1960年、聖光学院に進学しました。小学3年生の時中学受験のため通っていた進学塾への通学途中、京浜急行の車内で鈴木康博と運命の出会いを果たします。鈴木とは第1志望だった栄光学園中学の受験に失敗(2人共に)し、進んだ中高一貫教育である聖光学院では中学校・高等学校を通じて同級生でした。高校3年時、学園祭(「聖光祭」)にて小田、鈴木、地主道夫、須藤尊史の4人で演奏を披露しました。オフコースとしてレコード・デビュー後も(5人構成となる前までは)小田と鈴木が母校を訪れ、聖光祭にて演奏を毎年披露していた(聖光学院には1,000名以上の観客を収容可能なラ・ムネホールがある)。これは、学園祭実行委員の後輩達より毎年のように出演依頼を受け、小田と鈴木が快諾したことにより実現したものでした。なお、1999年、聖光学院創立40周年記念行事にて、小田、地主、須藤の3人が再び集結、当時の演奏ナンバーを披露した。また、新校舎完成時にもホールで演奏を披露するコンサートに出演しました。
オフコース
聖光学院卒業後、須藤は横浜市立大学、小田は地主とともに東北大学に進学、建築学を専攻しました。聖光学院在学時に授業で建築模型を製作して以来建築に興味を抱いていました。また、千葉大学医学部を受験しようとも思ったが、大学見学の際に消毒臭・カーテンの汚さに嫌気がさし、東北大学を選んだという。鈴木は東京工業大学に進学、離ればなれとなったが、仙台と横浜をお互いに頻繁に行き来し、音楽活動も続けていました。後にグループは「ジ・オフ・コース」(後にオフコースと改名)と名付けられた。1969年、アマチュア音楽活動にけじめをつけるために「ヤマハ・ライト・ミュージック・コンテスト」に東北地区より出場しました。東京でなく東北から出場したのは東京ではレベルが高く、東北のほうが勝ち抜きやすそうだからと考えたためだが、実際に出場してみると東北地区も大変レベルが高かったという。それでも東北地区を1位で通過、全国大会に進出しました。全国大会は赤い鳥、フォー・シンガーズ(財津和夫のいたグループ)ら強敵がいたが、小田曰く「寝ててもできるくらい」猛練習を重ね、自信をもって臨んだにもかかわらず、1位は赤い鳥、オフコースは2位だった。小田らは優勝して音楽活動にけじめをつけるつもりだったが、2位になったことで「このまま終われない」とプロの道を歩むことを決めました。
しかし、鈴木は音楽一本に決めたが、地主は小田と鈴木の音楽性についていけず、建築家に進路を定めた。小田は東北大学大学院の受験に失敗し、1971年早稲田大学大学院に進学、建築の研究も続ける一方で鈴木との音楽活動も続けていました。その後徐々に気持ちは音楽に傾き、1976年大学院修了時は完全に音楽の道を選択することを決めていた。修士論文のタイトルは「建築との訣別」(ただし、審査の担当教授安東勝男に「私的建築論」とタイトルを変更させられている)。
オフコースは数度のメンバー変遷を経て1972年より小田、鈴木の2人構成、後に清水仁、大間ジロー、松尾一彦を加えた5人構成となりました。数年間は売れない時代が続いたが、やがて、1970年代から1980年代にかけて次々とヒット曲を生み出し、時代を代表する人気グループとなりました。オフコースが発表したシングルのA面のほとんどは小田の曲であり、そのシンプルで、ストレートに愛を歌う歌詞とハイトーンの澄んだボーカルはオフコースの大きな特色でした。オフコース時代のヒット曲には「さよなら」「Yes-No」「君が、嘘を、ついた」などがある。1982年にはオフコースのオリジナルメンバーである鈴木康博の脱退に伴い一度は解散も考えたが、約1年の活動休止を経て4人で活動再開、1989年まで活動しました。
ソロ以降
1986年に初めてのソロシングル「1985」、初のソロアルバム『K.ODA』を発表。オフコース時代からソロ活動を始めてはいたが、1989年のオフコース解散以後にソロ活動を本格化しました。
1991年、フジテレビ月9ドラマ『東京ラブストーリー』の主題歌として制作した楽曲「ラブ・ストーリーは突然に」が、オリコンシングルチャートで第1位を獲得し、258.8万枚のミリオンセラーを突破しました。
その後は、ヒットメーカーとしての地位を確立し、楽曲はドラマ・CMなどに積極的に採用され、「伝えたいことがあるんだ」、「キラキラ」、「まっ白」などのヒット曲を生み出しています。また、オフコース時代を含む過去の楽曲を集め、新アレンジで再録音したセルフカヴァー・アルバム『LOOKING BACK』シリーズや『自己ベスト』は、幅広い年代に支持される大ヒットとなりました。
1998年7月22日夜、愛車セルシオを自身で運転して事務所・関係者らとの恒例行事「DEATH MATCH」(ゴルフコンペ)開催のゴルフ場へ向かうため、栃木県都賀町の東北自動車道下り線を走行中、自損事故を起こし全治4週間の重傷を負いました。現場付近は雨が降っており、80キロの速度規制のところを、約20キロオーバーの100キロ前後で走行。スリップしてコントロールを失い、ガードロープに接触した。その衝撃で後部座席に飛ばされ、後部座席で横たわった形で救出されました。同乗者は無し。幸いにも、後続車による追突や横転、反対車線への飛び出しなどがなかったため、一命を取りとめる。約2週間の入院後、奇跡的な回復を見せ、同年9月12日、福岡県にある「海の中道」で行われたスターダスト・レビューとのジョイントコンサートで、完治していない体だったが歌手活動に復帰しました。
2005年にはオリジナルアルバム『そうかな』、2007年にはシングル「こころ」で、それぞれオリコンチャート週間1位を獲得。とかく過去の楽曲が注目・起用されがちな日本の同世代アーティストの中で、新曲で音楽シーンに存在感を示すことができる貴重な存在となっています。
CMとのタイアップや、他のアーティストへの楽曲提供や、コラボレーションも行うようになった。また、初めて持ったテレビのレギュラー番組は大変な反響を呼びました。
また、音楽以外の分野では映画やドキュメンタリーの制作なども行いました。
明治村が好きで、何度も足を運んでいます(特にフランク・ロイド・ライトが設計した帝国ホテル中央玄関のミニチュアがお気に入り)。それが縁となり、明治村を経営する名古屋鉄道の企業CMで小田の曲が使われています。
2007年、東北大学が創立100周年記念事業の一環として開催した「東北大学100周年記念式典」において、「東北大学100周年記念文化貢献賞」を芸術・文化部門において受賞しました。さらに、聖光学院が開催した「聖光学院中学校・高等学校創立50周年祭」において、招待公演を横浜国際平和会議場(パシフィコ横浜)で行いました。
2008年11月、地元に近い京急本線金沢文庫駅の接近メロディに「my home town」が採用されました。
2009年3月「ツアー2008 今日もどこかで」で文化庁第59回芸術選奨文部科学大臣賞受賞。同年7月、知人の招きを受け、岩手県大船渡市民文化会館・リアスホールの落成記念公演を行いました。
2010年10月20日発売の松尾一彦のミニ・アルバム『せつなくて』にピアノ&ピアノ・アレンジで参加。オフコース解散後、初の元メンバーとのコラボレーションとなりました。
2011年から2012年にかけて、ソロ歌手として史上最年長となる自身初の5大ドーム公演を含む31会場全59公演の全国ツアー「どーもどーも その日が来るまで」を開催しました。約74万人を動員し、自己記録を超え、国内ソロアーティスト歴代最多動員数記録を更新しました。
2016年4月20日発売のベストアルバム『あの日 あの時』はオリコンで週間1位となり、「アルバム首位獲得最年長アーティスト(68歳7ヶ月)」として、矢沢永吉の記録(63歳8ヶ月)を更新しました。
2017年11月23日、NHK-FM「今日は一日“小田和正”三昧」でメッセージの形でだが鈴木康博と35年ぶりに共演しました。
映画制作
中学生時代に見た映画『ティファニーで朝食を』の主題歌「ムーン・リバー」に感動して初めてレコードを買い、「将来こんな素敵な仕事ができたら」と思っていました。
オフコース在籍時から、ステージで曲の演奏中にイメージフィルムを流したり、当時まだ珍しかったビデオクリップを制作するなど、音楽と映像の融合を積極的に行っていました。
1992年、第1回監督作品となる映画『いつか どこかで』が全国公開されたが、評判は芳しくなく、興行成績も成功とはいえなませんでした。
1997年、監督第2作目となる映画『緑の街』を制作、「歌手である主人公が映画を制作する」というストーリーが、1作目での制作体験を基に描かれた。この時は映画会社配給ではなく、ホールに機材を持ち込んで全国各地を廻る「シネマ・ツアー」という方式で上映されました。
プロデュース / コラボレーション
ソロになった1989年以降、他のアーティストとの交流が急速に活発化しました。
ソングライターとして鈴木雅之、中村雅俊、島倉千代子や松たか子らの楽曲を全面的にプロデュースする他、ASKAや佐藤竹善、スキマスイッチらとコラボレーションしています。
また、チャリティのためのUSED TO BE A CHILD主催、泉谷しげるらとのチャリティライブ、スターダストレビュー、CHAGE and ASKAらとのジョイントライブや音楽イベントに積極的に参加するようになりました。
小田自身のソロライブでも、コーラスに安部恭弘、佐藤竹善、山本潤子、加藤いづみらを起用しています。
2021年、喜多方高校の校歌を作曲しました。
記録
- 1985年 シングル「今だから」(松任谷由実・小田和正・財津和夫共作) – 「オリコン シングルチャート1位」獲得は、小田の音楽キャリア史上初。
- 1991年 シングル 「Oh! Yeah!/ラブ・ストーリーは突然に」 – 「オリコン シングルチャート週間1位」「年間シングルチャート1位」ソロで初の1位獲得、270万枚を売り上げ、ソロでの44歳3か月最年長記録によるダブルミリオンを獲得し、当時のシングルCD・レコード売上枚数記録史上、過去最高記録、達成。
- 2001年 アルバム 『LOOKING BACK 2』 – ソロでの「オリコン アルバムチャート週間1位獲得 最年長記録」 53歳8か月(それまでの同記録は井上陽水『GOLDEN BEST』1999年7月 51歳0か月)
- 2002年 アルバム 『自己ベスト』 – ソロでの「オリコン アルバムチャート週間1位獲得 最年長記録」 54歳8か月(自己記録更新、それまでの同記録は53歳8か月)
- 2004年『自己ベスト』 – 「オリコン集計上でのアルバム売上200万枚突破 最年長記録」57歳3か月(それまでの同記録は松任谷由実『Neue Musik』1998年11月 44歳10か月)、「オリコン集計上での男性ソロアーティスト アルバム200万枚突破 史上2人目達成」(同年12月、初記録は河村隆一『Love』1997年12月)
- 2005年6月 アルバム 『そうかな』 – ソロでの「オリコン アルバムチャート週間1位獲得 最年長記録」 57歳9か月(自己記録更新、それまでの同記録は54歳8か月)
- 2007年8月 シングル 「こころ」 – ソロでの「オリコン シングルチャート週間1位獲得 最年長記録」59歳11か月(それまでの同記録は石原裕次郎「北の旅人」1987年8月 52歳7か月)
- 2007年12月 アルバム 『自己ベスト-2』 – ソロでの「オリコン アルバムチャート週間1位獲得 最年長記録」60歳3か月(自己記録更新、それまでの同記録は57歳9か月)、60代でのオリコン1位獲得・30代から60代すべての年代でオリコンアルバムチャート1位獲得ともに史上初。
- 2010年4月 アルバム 『自己ベスト|』 – 「オリコン アルバムランキングで通算400週目のランクイン(トップ300)」オリコンアルバムチャート史上初
- 2010年11月 アルバム 『自己ベスト』 – 「オリコン集計上でのアルバム出荷枚数300万枚突破 最年長記録」63歳2か月[6]
- 2011年4月 アルバム 『どーも』
- ソログループ含めての「オリコン アルバムチャート週間1位最年長記録」・「ソロ(シングルアルバム含めた)での1位獲得最年長記録」・「日本人でのアルバムチャート10位以内最年長記録」63歳7か月(アルバムチャート首位達成はソロでは自己記録を更新、それまでの同記録は60歳3か月。グループを含めても、それまでのアルバムチャート1位獲得最年長記録はザ・ビートルズのメンバーのリンゴ・スター『ザ・ビートルズ1』(2000年11月27日付 60歳4か月)。それまでのソロシングルアルバムを含めて1位獲得最年長記録は秋元順子の61歳7か月(2009年1月26日付でシングル『愛のままで…』)。それまでのアルバムチャート10位以内の日本人最年長記録は吉田拓郎の63歳0か月での6位獲得(2009年4月27日付『午前中に…』))。
- 「デビューからの1位獲得最新達成の最長記録」 41年0か月 (それまでのデビューから1位獲得最新達成最長記録はマイケル・ジャクソン『マイケル・ジャクソン THIS IS IT』(2009年11月9日付) デビューから最新1位獲得40年0か月)
- 2011年5月 アルバム 『どーも』 – 「オリコンアルバムチャート週間8位で獲得 10位以内獲得日本人最年長記録」63歳8か月(自己記録更新、それまでの同記録は63歳7か月)
- 2013年5月 アルバム 『自己ベスト』 – 「オリコン アルバムランキングで通算500週目のランクイン(トップ300)」オリコンアルバムチャート史上初
- 2014年7月 アルバム 『小田日和』 – 「オリコンアルバムチャート週間3位で獲得 10位以内獲得日本人ソロ最年長記録」 66歳10か月(それまでのアルバムチャート10位以内の日本人ソロ最年長記録は髙橋真梨子の64歳4か月での4位獲得(2013年6月24日付『髙橋40年』))。
- 2016年4月 アルバム 『あの日あの時』 – ソロでの「オリコンアルバムチャート週間1位獲得 最年長記録」68歳7か月(それまでの同記録は矢沢永吉の63歳8か月(2013年5月27日付『ALL TIME BEST ALBUM』))。
- 2016年5月 アルバム 『あの日あの時』 – 返り咲きでの「オリコンアルバムチャート週間1位獲得 最年長記録」・ソロでの「オリコンアルバムチャート週間1位獲得 最年長記録」68歳8か月(それまでの返り咲きでのオリコンアルバムチャート1位獲得最年長は山下達郎の59歳8か月(2012年10月22日付『OPUS 〜ALL TIME BEST 1975-2012〜』)。それまでのソロでのオリコンアルバムチャート1位獲得最年長は(自己記録更新、それまでの同記録は68歳7か月))。
- 2016年6月 アルバム 『あの日あの時』 – 「2016年度上半期2位獲得 上半期10位以内獲得最年長記録」 68歳9か月(それまでの同記録は由紀さおりの63歳7か月での2012年度上半期10位獲得(『1969』))
- 2016年12月 アルバム 『あの日あの時』 – 「2016年度年間4位獲得 年間10位以内獲得最年長記録」 69歳3か月(それまでの同記録は山下達郎の59歳10か月での2012年度年間10位獲得(『OPUS 〜ALL TIME BEST 1975-2012〜』))