東別院会館(読み方:ひがしべついんかいかん)は、愛知県名古屋市にある真宗大谷派名古屋別院のことです。東別院4番出口を出て、大きな横断歩道を渡るとTV局を抜けて直ぐに左手に見えてきます。建物の位置はとてもわかりやすいのですが、駅からまっすぐ進むと建物の向かって左側面に着きます。そちらに「正面玄関からお入りください」とだけ書いてあり正面玄関が何処なのかの記載が見当たらなかった為、どこに正面玄関があるのか少し迷ってしまいました。文字と共に見取り図もあると親切かなと思いました。名古屋別院で、京都の本院と比べると20〜30%の大きさでした。ただ駐車場はその規模からすれば充実しており、いつ何時伺っても安心してお参りできそうに思いました。
「東別院」(ひがしべついん)は正式名称を「真宗大谷派名古屋別院」(しんしゅうおおたにはなごやべついん)と言い、尾張地方では古くから「御坊さん」(ごぼうさん)ともよばれてきました。
教えは親鸞聖人(しんらんしょうにん)を宗祖とする「浄土真宗」(じょうどしんしゅう)です。京都市にあります「真宗本廟」(しんしゅうほんびょう)(通称:東本願寺)を本山とする「真宗大谷派」(しんしゅうおおたには)のお寺です。
東別院の属する真宗大谷派は全国を地域ごとに分けており、それを「教区」と呼んでいます。ここ名古屋とその周辺地域を含む教区は「名古屋教区」として地域に根ざした取り組みを行っています。
東別院(真宗大谷派名古屋別院)は名古屋教区唯一の別院として教化活動の中心地となっています。
近代化の波でしょうか、朝一、バザー、ライブなど多彩なイベントや会議が開催されています。
ライブ会場になる3階の東別院ホールは、フラットで後方に低い段差がある。ステージはそこそこの高さ。基本的に仮設椅子が並べられる。下の階で何かある場合は、ジャンプ禁止となる場合が多いです。
東別院会館1階に喫茶店『sakura café (TEL:052-324-3450)』がございます。
コーヒー・紅茶をはじめとした各種ソフトドリンク、ランチには週替わりパスタや蒸し料理、丼物など、メニューも充実しております。
また、デザートには抹茶を使用したケーキやアイス、わらび餅などがありました。
📭アクセス(住所)
〒460-0016 愛知県名古屋市中区橘2-8-45
TEL (052)331-9576 FAX (052)331-9579
受付時間/9:00~16:00 ※受付窓口での各種お手続きは9:00~16:00までとなります。
「金山駅」→地下鉄名城線「東別院駅」下車4番出口
「名古屋駅」→地下鉄東山線「栄駅」→地下鉄名城線「東別院駅」下車4番出口
※地下鉄名城線「東別院駅」4番出口より、西に徒歩約5分👣
🚙無料駐車場 あり
🔐コインロッカー なし
👜クローク なし
🚬喫煙所 なし
🚻トイレ あり
🍹入場ドリンク代 なし(別途チケット)
東別院会館の外観👓

境内地図



💺キャパシティ(最大収容人数)
3階 東別院ホール
東別院会館3Fには、映画の試写会や講演会、展示会等としてご利用いただけるホールがございます。
最大で450名収容できます。



客席レイアウト

座席表の一例では、左前から A列-1番というパターンでした。



2階 会議室





1階 会議室


⏰イベントスケジュールとチケット情報🎫
館内に案内板もあります。

東別院の本尊について
東別院の本堂の中央の本尊(ほんぞん)は「阿弥陀如来」(あみだにょらい)です。
東別院に参拝される際は、どうぞ本堂内の本尊の前に座り手を合わせ、心静かに「南無阿弥陀仏」と称えてください。
宗祖「親鸞聖人」について
宗祖親鸞聖人は鎌倉時代を生きられた方で、師・法然上人(ほうねんしょうにん)が歩まれた本願念仏(ほんがんねんぶつ)の歴史に導かれ、「本願を信じ、念仏をもうさば仏になる」(『歎異抄』(たんにしょう))と、すべての人が「南無阿弥陀仏」一つで救われることを明らかにしてくださいました。その確かな教えは時代を超えて今も人々に大切に受け継がれています。
東別院の本堂においてはそのお姿は、本尊に向かって右側に絵像として掛けられています。
東別院で勤まっているお経について
浄土真宗では、宗祖親鸞聖人のみ教えのもと、正依(しょうえ)の経典(正しい教えを伝えてくれるお経)を「浄土三部経」(じょうどさんぶきょう)と定めて日々のお勤めなどの仏事を勤修(ごんしゅう)しています。「浄土三部経」(じょうどさんぶきょう)とは『仏説無量寿経』(ぶっせつむりょうじゅきょう)『仏説観無量寿経』(ぶっせつかんむりょうじゅきょう)『仏説阿弥陀経』(ぶっせつあみだきょう)の三つの経典を指します。それぞれの経典には阿弥陀如来の尊い願いや、浄土のありがたい教えが説かれています。
宗 旨(しゅうし) | 浄土真宗(じょうどしんしゅう) |
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宗 派(しゅうは) | 真宗大谷派(しんしゅうおおたには) |
本 山(ほんざん) | 真宗本廟(東本願寺)(しんしゅうほんびょう(ひがしほんがんじ)) |
本 尊(ほんぞん) | 阿弥陀如来(あみだにょらい) |
宗 祖(しゅうそ) | 親鸞聖人(しんらんしょうにん) |
正依の経典(しょうえのきょうてん) | 浄土三部経(じょうどさんぶきょう)『仏説無量寿経』(ぶっせつむりょうじゅきょう)『仏説観無量寿経』(ぶっせつかんむりょうじゅきょう)『仏説阿弥陀経』(ぶっせつあみだきょう) |
東別院の歴史
親鸞聖人(1173~1262)は、鎌倉時代、本願念仏の仏道をいただかれ、人が本当に生きる道を歩み求められました。その歩みは、室町時代、蓮如上人(1415~1499)によって広められ、ここ尾張の人々にも大切に受け継がれています。
名古屋別院は、1690年(元禄3年)、一如上人(東本願寺第16代)を開基とする真宗大谷派の寺院です。当時の尾張藩主徳川光友より、織田信長の父信秀が築いた古渡城の跡地の寄進を受けて建てられました。以来、300年以上にわたり、親鸞聖人がいただかれた往生浄土の教えを聞き開く道場として、尾張の人々に広く「御坊さん」の名で親しまれてきました。
その別院の歴史ある建物は、1945年(昭和20年)3月、名古屋空襲によってほとんどが焼失しました。戦後の混乱も収まった1962年(昭和37年)、尾張門徒の総力をあげて再建されたのが現在の本堂です。
東別院歴史年表
1679(延宝 7)年 | 一如上人、東本願寺16代を継職 |
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1687(貞亨 4)年 | この頃、名古屋城下6ヶ寺、名古屋御坊建立を本山に請願 |
1688(貞亨 5)年 | 名古屋城下の東本願寺派(現大谷派)寺院の大半、名古屋御坊建立に反対 |
1690(元禄 3)年 | 御堂衆閑唱寺了誼、名古屋御坊初代輪番に任命。尾張藩二代藩主徳川光友、名古屋袋町泉龍寺を名古屋御坊として公許 |
1691(元禄 4)年 | 徳川光友、古渡城址(現在地)を御坊の地として寄進 |
1692(元禄 5)年 | 梵鐘を鋳造。仮御堂が完成 |
1694(元禄 7)年 | 本堂建造のための地築はじまる |
1702(元禄 15)年 | 本堂が完成 |
1805(文化 2)年 | 名古屋御坊再建の釿始式 |
1823(文政 6)年 | 東本願寺両堂焼失。名古屋御坊の古御堂を東本願寺の仮本堂に転用することを決める |
1871(明治 4)年 | 名古屋御坊を名古屋本願寺と改称 |
1873(明治 6)年 | 名古屋本願寺を名古屋管刹と改称 |
1874(明治 7)年 | 名古屋管刹で名古屋博覧会はじまる。愛知県庁を名古屋管刹内に移す |
1876(明治 9)年 | 名古屋管刹を名古屋別院と改称 |
1878(明治 11)年 | 名古屋別院、明治天皇の行在所となる |
1879(明治 12)年 | 名古屋別院で第一回愛知県議会がはじまる |
1894(明治 27)年 | 日清戦争により、名古屋別院、兵舎となる |
1904(明治 37)年 | 日露戦争により、名古屋別院、軍用に徴発される |
1924(大正 14)年 | 御東幼稚園開設 |
1945(昭和 20)年 | 3月12日空襲により、名古屋別院全焼 |
1966(昭和 41)年 | 本堂完成。「名古屋御坊」誌創刊 |
1990(平成 2)年 | 名古屋別院開創三百年・開基一如上人三百回忌勤修 |
2003(平成 15)年 | 東別院参道完成 |
2004(平成 16)年 | 梵鐘が名古屋市指定文化財に指定される |
2016(平成 28)年 | 宗祖親鸞聖人750回御遠忌法要厳修 |
2018(平成 30)年 | 東門及び土塀が登録有形文化財となる |
2019(令和元)年 | 参拝接待所増築工事完了 |