東京タワー(とうきょうたわー、英: Tokyo Tower)は、東京都港区芝公園にある総合電波塔です。日本電波塔(にっぽんでんぱとう)とも呼ばれています。
1958年(昭和33年)12月23日竣工。東京のシンボル、観光名所です。
2018年度グッドデザイン賞を受賞しました。
アクセス(住所)
〒105-0011 東京都港区芝公園4-2-8
駐車場 なし(『駐車場コインパーキング検索』からお探し下さい)
東京タワーの外観
キャパシティ(最大収容人数)
🏟1・3-5階 RED° TOKYO TOWER
🏟地下1階 東京タワーホール
イベントスケジュールとチケット情報
沿革
- 1957年(昭和32年)
- 1958年(昭和33年)
- 1959年(昭和34年)
- 1月10日 – NHK教育テレビジョン(現愛称・NHKEテレ)がVHF1chで放送開始(同年4月にNHK総合テレビジョンと入れ替わる)。
- 2月1日 – 日本教育テレビ(NET、現・テレビ朝日)がVHF10chで本放送開始。
- 3月1日 – フジテレビジョンがVHF8chで本放送開始。
- 9月20日 – 南極観測隊カラフト犬(タロとジロ)の記念像の除幕式を挙行。
- 1960年(昭和35年)
- 1962年(昭和37年)3月29日 – 昭和天皇・皇后が東京タワーを見学する。天皇が訪れたのは、1958年の竣工以来はじめて。
- 1963年(昭和38年) – 返還前の東京都小笠原村南鳥島に、高さ411.48メートルの南鳥島旧ロランタワーが竣工する。
- 1964年(昭和39年)
- 1965年(昭和40年)12月24日 – イルミネーションが連夜の点灯となる。
- 1966年(昭和41年)1月2日 – 来塔者数が3,000万人となる。
- 1967年(昭和42年)7月28日 – 特別展望台オープン。
- 1968年(昭和43年)6月26日 – 小笠原諸島が返還され、南鳥島と硫黄島のロランタワー(411.48メートル)が日本一高い建造物となり、東京タワーは日本で3番目に高い建造物となる。
- 1970年(昭和45年)
- 1971年(昭和46年)8月18日 – 来塔者数が5,000万人となる。該当者は都内の23歳の男子学生で、自分が5,000万人目になれないかと思って来塔し、記念品として冷蔵庫・カラーテレビ・ギフト旅行券・オートバイなどが贈られた。
- 1973年(昭和48年)10月10日 – 体育の日に大展望台までの外階段を駆け上る体力テストを開始。
- 1975年(昭和50年) – 長崎県上県郡上対馬町大増(現・対馬市上対馬町大増)に高さ454.830メートルのオメガタワーができ、日本で4番目に高い建造物となる。
- 1977年(昭和52年)6月1日 – 電波の日のこの日に「電波塔の維持運営を通じて放送の普及と重要無線通信の疎通に多大の貢献」をしたとして、当時の郵政大臣、小宮山重四郎より表彰される。
- 7月11日 – タワー大神宮創建(23区内でもっとも高い場所にある神社)。
- 1978年(昭和53年)4月28日 – 東京タワー水族館オープン(世界初の観賞魚水族館。2018年9月30日閉館)
- 1984年(昭和59年)11月1日 – 放送大学が大学開学に向けてテレビ放送をUHF16chで、同時期にFMラジオ放送を77.1MHzで予告放送開始(翌1985年(昭和60年)4月1日に授業開始)。
- 1986年(昭和61年)
- 航空法改正により黄赤色と白色の塗り分けを11等分から7等分へ変更し、黄赤色の赤みを強くした。
- 南鳥島旧ロランタワーが解体され、日本で3番目に高い建造物に返り咲く。
- 1988年(昭和63年)
- 1989年(昭和64年・平成元年)
- 1991年(平成3年)3月3日 – 「平成3年3月3日」で3が重なることを記念して記念展望券の発売、バッジや絵はがきのプレゼント、エッフェル塔へ招待するクイズなど数々のイベントが行われる。
- 1994年(平成6年)
- 4月 – 「東京タワートリックアートギャラリー」がタワービル4階に登場する。
- 10月 – 硫黄島ロランタワーが運用停止、解体され日本で2番目に高い建造物に返り咲く。
- 1995年(平成7年)
- 1月 – 来塔者数が1億2,000万人となり、日本の総人口に相当する人数が来塔したことを記念してキャンペーンを行う。
- 11月1日 – 東京メトロポリタンテレビジョン(東京MXテレビ、TOKYO MX)が東京都初の都域民間放送テレビ局としてUHF14chで本放送開始。
- 1996年(平成8年)4月1日 – エフエムインターウェーブ(現・InterFM)が76.1MHzで本放送開始。
- 1998年(平成10年)
- 12月 – 大展望台外壁を黄赤色から白色へ変更。
- 12月23日 – ノッポン誕生。
- 1999年(平成11年) – オメガ塔(対馬オメガ局)が解体され、日本一高い建造物に返り咲く。
- 2002年(平成14年)3月19日 – 特別展望台・大展望台をリニューアルオープン。営業時間を年間を通して22時までに延長。
- 2003年(平成15年)
- 10月10日 – デジタルラジオ推進協会が地上デジタル音声放送の実用化試験放送をVHF7chの帯域で放送開始。
- 12月1日 – 放送大学以外のテレビ局が地上デジタルテレビ放送をUHF帯域で開始。
- 2005年(平成17年)
- 3月19日 – タワービルをリニューアルオープン(名称を「フットタウン」に変更、外壁色を濃いブラウンに変更)。
- 12月25日 – 大展望台にハート形のイルミネーションを始める。
- 「日本電波塔」としてDOCOMOMO JAPAN選定 日本におけるモダン・ムーブメントの建築に選定。
- 2006年(平成18年)
- 2009年(平成21年)
- 2010年(平成22年)3月29日 – 建設中の東京スカイツリーが高さ338メートルに到達したため、日本で2番目に高い建造物となる。
- 2011年(平成23年)
- 2012年(平成24年)
- 2月1日 – 一部を除くアナログ送信アンテナの撤去を開始。また、前の地震で曲がった先端部の交換ならびに耐震補強も同時に行う。工事終了は2014年12月を予定している。特別展望台行きエレベーターの改修工事にともない、同月29日まで特別展望台の営業を休止。
- 4月22日 – この日をもってJ-WAVEとNHK東京FMのFMラジオ放送の送信を終了。翌日にそれぞれ送信所が東京スカイツリーに移転。移転後もNHK東京FMは予備送信所として存続。
- 7月10日 – 先端のSTアンテナの撤去を夜から開始。長さ約25メートル、直径約37センチの空洞の支柱を17分割に輪切りにして下から順に取り除く際に、地上306メートルの支柱底部から軟式野球用ボールが発見される。なお、撤去したSTアンテナの一部は東京タワー敷地内に保存、別の一部は同アンテナを納入した古河電気工業の事業を継承していた古河C&B横浜測定所に保存後、同社の全事業を譲受したミハル通信本社(鎌倉市)に移設されている。
- 8月3日 – 7月10日より行われていた先端のアンテナ支柱の交換作業を午前中に完了し、一時315メートルだったタワーが元の高さに戻る。円柱だった支柱は四角柱となり、耐震性が向上する。
- 10月1日 – TOKYO MXの地上デジタルテレビ放送の物理チャンネル切り替えのため、東京スカイツリーとのサイマル放送を開始。
- 11月12日 – TOKYO MXの東京タワーからの電波の1回目の減力を実施。以後、2013年1月14日、2月4日、2月25日、3月18日に分けて段階的に減力を実施する。
- 2013年(平成25年)
- 2月11日 – TOKYO FMの送信用アンテナをアナログテレビ放送終了で空いた333メートルの頂上部に新設・移転し、供用を開始。
- 5月12日 – この日の正午、TOKYO MXの物理チャンネル切り替えによるサイマル放送終了にともない東京タワーからの送信を停止。翌13日18時に東京タワーからの送信を終了。
- 5月31日 – この日の9時、放送大学を除く地上デジタルテレビ放送7局の送信所が東京スカイツリーに移転した。当初は1月に移転予定だったが電波障害対策が必要となったため、その対策を講じてからの移転となった。送信の移転後はNHKと民放キー局5社については東京タワーを予備電波塔として使用することとなっている。
- 6月21日 – 国の登録有形文化財に登録。
- 11月23日 – 2020年の東京五輪招致の応援で、南極観測隊カラフト犬像の場所を使って招致のシンボルマークを花で描くことになったため、タロ・ジロのブロンズ像を東京都立川市の国立極地研究所に移転。
- 2015年(平成27年)
- 2016年(平成28年)
- 2018年(平成30年)
- 1月25日 – 来塔者が1億8,000万人突破。
- 3月3日 – 特別展望台を「トップデッキ」、大展望台を「メインデッキ」に改称。
- 9月30日 – 23時15分をもって、放送大学の地上波デジタルテレビジョン放送、FMラジオ放送を終了(ただし地上波放送の放送免許自体は10月末まで有効)。東京タワー水族館が営業を終了。
- 12月23日 – 運営会社の商号を「日本電波塔株式会社」から「株式会社東京タワー」に変更。
- 2019年(令和元年)10月1日 – 運営会社の商号を「株式会社東京タワー」から「株式会社TOKYO TOWER」に変更。
- 2020年(令和2年)3月31日 – この日の23時59分を持ってi-dioの放送を終了。